○●○zero gravity○●○


「三谷ー。お前数学の宿題やったー?」
「オレに聞くな」
三谷は窓の外を眺めたまま答えた。
明日は土曜日で、きっとまたあの男の部屋へ行くのだ。 関係はあの日以来、ずっと続いている。 最近では、会う度に次の予定を決めてしまうから、 彼の所へ行くことは習慣になっていた。 金を貰って、あの男に犯される。その事実は刺激的で、 行為もそれほど辛くなかった。

初めて貰った金で買ったCDと服は見えないところへしまいこんだ。
緒方との時間を重ねるたび、机の引き出しに隠した金の額が増えていく。 何のために金を貯めているのか、自分でもわからない。
『でもオレたち、体の相性はいいと思わないか』
男はいつかそう囁いた。男の言葉は、いちいち三谷を熱くする。 突き放しては優しくされ、混乱させられる。
それはもう、 三谷の負けだという証明なのだ。 互いを利用し合っていることなんか、承知の上だったはずだ。 それなのに、そんな言葉を吐くから、わからなくなる。
あいつが、悪い。
三谷は舌打ちした。苛立ちを打ち消すように、水を飲みに立つ。
冷水機に顔を近づけ、舌が痺れるほど飲み干す。
「ちょっと、早くしてよ」
後ろの女子に肩を叩かれて動いた。
渇きを止めたくて、蛇口をひねり、頭から水をかぶった。
背後で同級生達の悲鳴が上がった。真冬の水が、麻痺した脳を刺激する。
何も考えたくない。三谷は雫と一緒に温かいものが流れ落ちるのを 見つめた。
チクショウ、
声に出さず唇が紡いだ。


「やあ」
男はドアを開け、三谷は部屋へ上がる。毎週のことだ。
緒方は三谷を寝室へ通すと、 三谷のコートを背後から脱がせた。 薄手のセーターが三谷の体のラインをなぞっている。 三谷が脱ごうとすると、緒方の手が止めた。
手を差し入れ、素肌に這わせるようにして、たくし上げる。 そのまま押し倒されて、気がつくと裸になっていた。
激しくキスをされて朦朧とした。うつ伏せにさせられ、 塗りつけられる潤滑油。無意識に三谷の腰が逃げる。
「あ…っ」
男の手が腰を捉え、強引に濡れた指を入れた。三谷の背中に 緊張が走る。
「慣れないな」
緒方が言う。三谷は額を枕に擦り付けた。
「こっちも可愛がってあげないとね」
「っああ、」
三谷のペニスに刺激を与えた。体は羞恥と快楽ですぐに熱くなる。
不意に仰向けにされ、体を起こされた。
「座れ」
緒方の目と勃ち上がった緒方のものを不安げに見ながら、 三谷は腰を落とした。痛みに顔を歪めると緒方が支えた。
「…っ」
震えが止まらないままの三谷を、緒方は下から突き上げ始めた。


隣りで緒方が眠っていた。
どちらかというと好きではないタイプの人間だ。 隙がなくて、何でも知っていて、とても敵わない。 面と向かって物を言うには気後れする。 しかし三谷が自己主張すると、怒ることも宥めることもなく、 思うようにさせてくれる。
緒方は、三谷がそれまでに知っていたどんな人間とも違っていた。
本気になりかけたのはその部分だ。けれど好きになった途端、 緒方の気まぐれな言動や愛撫に翻弄され、駆り立てられた。 勝ち目のないゲームを、彼と会うためだけに続けている。 このままでいることへの安心感に酔い、進展しない関係に苛立つ。
もうずっとこんな気持ちのままだ。
金以外に欲しいものなんかなかった。
欲しいものを交換するだけ、簡単なことだと、思っていた。

「…どうした?」
目覚めた緒方に声をかけられ、三谷は急いで抱いていた腕を放した。
「何でもねえ」
出来るだけぶっきらぼうに言って、背を向ける。
「腕、貸してやろうか?」
緒方の体温が背後に迫り、声が囁いた。 首を振ると、強引に肩を引っ張られ仰向けになった。 緒方が上に重なり、逃げ場を失って、三谷は諦めた。
「恥ずかしがらなくても、オレはもう何でも君のこと知ってるのに」
「…何言ってんだ」
三谷が顔を赤くする。
「オレのことが好きかい?」
緒方が核心を突く問いを囁いた。三谷の胸を撫でる。
「やめろ…っ」
三谷は情けない声を出した。緒方の手を引き剥がす。
「言えよ」
「そんなこと聞いてどうすんだ」
本当のことを言ってしまったら、終わる気がした。彼と話すだけで、 もう痛みが伴う。
「別に。聞いてみたいだけさ」
いつもよりくだけた風に言う緒方から、三谷は目を逸らした。
「君のことをわかってるつもりだ」
緒方の言葉に、三谷はピクリと反応した。
「でも確信がない」
「オレは自分のこともわかんねえ」
両肘をつき、背中で這い上がるようにして、 半身を起こそうとした。
緒方の手に阻まれる。
「はぐらかすなよ」
「あんたには関係ねえだろ」
強い調子で三谷は返した。
緒方は動じることもなくじっと三谷を見つめる。この視線に弱い。
「…言いたくねえ」
頬が紅潮するのを感じながら、弁解するように付け足す。
「本当に君はわかりやすいな」
緒方はクールに笑い、三谷を組み伏せた。
「ちょ、嫌だ」
暴れて逃れようとする体を押さえつけながら、愛撫する。
「もう、ヤなんだよ」
三谷が叫んだ。
「ア、」
上擦った声で悲鳴を上げる。緒方の体を押し戻そうとするが、 叶わない。緒方に触れられ、抱きしめられる。 それだけで、三谷は昂ぶった。
からかうように耳元に息を吹きかけられて、三谷は身を竦めた。
きつく閉じた目から涙が溢れてくる。
緒方は呆気なく解放した。泣くつもりはなかった。
「…お前、…言ったくせに」
涙声で呟く三谷に、緒方がわからないという顔をする。
「もういい」
「オレが何を言った?」
横を向いたまま何も言わない三谷に、緒方は言った。
「…終わりにするか?」
「イヤだ」
縋るように見つめる三谷に、 緒方は満足そうな笑みを浮かべた。
三谷の涙をそっと指で掬う。
「来週の土曜、空いてるか」


「じゃあ、」
三谷の声に、緒方は背中を向けたまま片手を上げた。
ベッドから出れば、もう違うことを考え始めている。
三谷は部屋を出、エレベーターに乗りこんだ。
1Fを押して、目を閉じる。軽い圧がかかって、浮き上がる。
沈み込んでいく。ずっと沈み込んで、達する。
身の軽さとは裏腹に、本当は堕ちていく。
それは、彼との関係に似ている。
不安とスリル。浴びるほどの金と、からっぽの自分。

今日、あいつは、金を渡さなかった。

目を開け、ガラスに映る自分を見つめる。
3F。
2F。
1F。ドアが開く。
「…」
考えるのをやめて、三谷は地上に降りた。

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FIN