箱の中の憂鬱 四(銀魂 銀時×新八)
角を曲がって大通りに出ると、新八の背中が見えた。あっちの仕事も終わったらしい。
ホーンを鳴らすとすぐに振り向いた。
「銀さん」
立ち止まった新八の前にバイクを止めた。
「乗れよ」
ヘルメットを取って、新八の頭にぽすんとのせた。新八がバイクに跨り、俺の腰に手を回す。
「子守りどうだった?」
「もう大変でしたよ。悪ガキ二人に振り回されました。一番下の子なんて赤ちゃんだし、
泣いてても何欲しがってるかわかんないんですもん」
新八が言う。
「俺の方は祝い用のでけえ餅積んだままたらい回しよ。一時間で終わる仕事がもうおやつの時間ですよコノヤロー」
新八が笑っている。
「ま、報酬は多少色つけてもらったから気持ちも収まったがな」
「そうかあ。久しぶりの収入って何だか未来が見えてウキウキしますね!」
嬉しそうな新八。俺も幸せ。
「夕飯何にします? ちょっと贅沢したいけど、先のこと考えると貯めときたいし…」
「そうだな…まあいつも通り慎ましく食うか」
「はい。銀さんにしては堅実な選択ですね。ケーキだの何だの食いたいって言いそうなとこなのに」
「どういう意味だ。銀さんはいつだって堅実だし誠実だぞ」
「何言ってんですか、かなり刹那的ですよ。先のこと考えずに糖分摂ってるじゃないですか」
「お前、糖分はホラ、銀さんの九十九パーセントは糖分で出来てるから。摂らないと死ぬから」
「一パーセントは?」
「優しさ」
「死んでいいですよ。もう、こっちはホントに心配してんのに」
新八のあきれた顔も軽口も心地いい。
「そういえば銀さん。銀さんの玉子焼きが食べたいです」
新八が言い出した。
「何?」
「玉子焼き。銀さんの、甘いから」
「え、そうなの」
俺は振り向き気味に新八を見た。目が合った。
「あれがデフォだろ。玉子焼きは甘いんだよ。甘いものですよ。姉ちゃんのはあれ、何か別のものだから」
「姉上のは、わかってますけど。玉子焼きは別に甘くないですよ。むしろ少ししょっぱいんですよ普通」
「甘くない玉子焼きなんぞ夢がないだろうが。黄色くて甘いもんなんか、最高じゃねーか」
「意味わかんないけど、気持ちはわかりますよ。だからリクエストしてるんじゃないですか」
「じゃあ夕飯に出してやるよ。…しかし神楽の奴、ちゃんと留守番してんのかねアイツ。
旅行旅行って浮かれてんじゃねーの。泳げないくせに水着が欲しいとか言い出すし…」
「はしゃぐなって言うほうが無理ですよ。姉上のところの慰安旅行に混ぜてもらって嬉しいんでしょ」
「伊豆かあ。…お前、留守番に戻るんだっけ?」
「一日中無人はちょっと心配なんで。ニ、三日は通います」
「そっか」
一人の夜を思うと、何だか昔を思い出した。
万事屋に戻ると、見慣れない女物の草履があった。台所から漂う異臭。これは。
新八が血相を変えて飛んでいく。
「っ姉上ぇー!!」
新八が泣きそうな声を上げた。
「あら新ちゃん、銀さんおかえりなさい。お邪魔してます。神楽ちゃんがお腹すいたって言うから、玉子焼きを…」
ニコニコ笑いながらエプロンで手を拭く姿は、それだけなら絵になっている。
「玉子全部使っちゃったの? 大事な玉子が…かわいそうな玉子…」
「随分な褒め言葉ね。お姉ちゃんの愛を残さず味わいなさい」
「ぎゃあああ」
新八がひっくり返った。
「銀さんもよければ」
「いや、俺は今満腹だから」
嘘です。お腹ペコペコです。たらい回しのお陰で昼抜きだし。
「そう、残念ね」
危険回避。
神楽は既にソファで撃沈している。
「そろそろ私出勤しなくちゃ、じゃ、神楽ちゃん、明日の朝、駅前集合よ」
「這ってでもいくアル、姉御ぉー」
「新ちゃんは、家のこと頼むわね。ストーカーから解放されるなんてほんとに幸せ!」
お妙は涼やかな笑顔を残して去っていった。
「神楽…お前明日、ホントに行くつもりか。こんな状態で」
「行く」
神楽は即答した。
「銀ちゃん、私、空腹に負けたアル…大丈夫かなって、ちょっと思ったアル…」
神楽は青白い顔で呻いた。
「わかったら、あいつに料理はさせるな。災厄を呼ぶな」
「腹の底からわかったアル…でも明日は行く」
「わかったわかった」
神楽はそれきり意識を失った。
「新八」
廊下に転がっている新八を、もう一つのソファに寝かせた。
「玉子焼き…銀さんの玉子焼き…」
「残念だけどまた今度な」
子供にするみたいに、頭に手を置く。拒まれなかった。
「…今日がいいです」
新八が小さい声で言った。
「…今日食べたいんです。疲れちゃったし。もう食べる予定になってるんです。僕の中で」
新八は泣き出しそうな顔をして、それから背けた。
「じゃあ…銀さんが小遣いで玉子買ってくるから、休んでな」
新八の頭を撫でて、立ち上がる。
「ごめん銀さん」
「いいんだよ。行ってくる」
そんな子供みたいなワガママが欲しかった。
新八のために、甘いもん我慢しちゃったぞオイ。
こんな自分、初めてじゃないか。
ふ、と笑いがこみ上げた。悪くないねえ、俺。愛に生きるって感じか? 頭をかきながらスーパーを出る。
なんたって、新八が俺に甘えたんだぞ!
「やだ銀さん。こんなところで会うなんて。運命?」
「…おめーは、」
頬を染めている始末屋。出た。しばらく見ないから、すっかり安心していた。
「スーパーで見かけるくらい、普通にあることだろ」
「そんなに嬉しそうな顔しちゃって、さっちゃん感激だゾ!」
「いや全然嬉しがってないからね」
扱いに困る女ってのはこういうのを言うんだろう。
「銀さんたらこんなもの持ち歩いて、困っちゃう。さ、行きましょう。今日は玉子プレイ?」
いつの間にか懐に隠していたコンドームを持っている。
「銀さんてばむっつりスケベなんだから!」
「基本的に男はみなスケベですが…。つか返せ! 何スッてんだよお前! こんな往来で!」
俺は周囲を確認した。知り合いとかに見られたら嫌だし。マダオとか真選組とか。
「私、今夜は銀さんだけのメス豚になる。あっ、言っちゃった」
「お前一人で何にでもなれ」
コンドームを奪い、歩き出した。
「そうやって私の心を煽るなんて、なんてひどい人なの。
もっともっとあなたを好きになっちゃうから!」
「どこをどうしたらそこまでポジティブになれんだよ」
「逃げればいいのよ! そうやって私を避ければいいんだわ、もっと放置しなさいよ!
ずっとあなたのこと見てたんだから!」
「いや、俺のほうこそ放置されたいよおまえ」
「きゃっ。銀さんが私のことおまえ、おまえって呼んだ!」
「…」
無視して歩き出した。始末屋がついてくる。
早歩き。始末屋がついてくる。
走る。始末屋が走る。
全力で走る。始末屋が全力で走る。
「銀さん…! いつまでもこうしていたい。これが私の夢なの!」
苦無
が飛んできた。なぜか攻撃されてます。もっとひどくして!とか言ってます。
俺には帰らなきゃならないところがあるんだよ。しんぱちぃ!
「もっといじめなさいよ。私を避ければいいわ!」
キリがないから、路地に入った。玉子を庇いながら角を曲がり、走り、また曲がる。
あいつが来る! マジで来る!
「!」
行き止まりに当たって、ぜいぜい言っていると、始末屋も息を切らしていた。
「あなた…、全力で逃げてるわね。そこまで真剣に、私を思って、くれるなんて…」
「だから、違うから…」
「こんな…人気のないところに、誘い出して…、銀さんエッチ…!」
ぐっと、歯を噛み締めた。ここで食われるわけにはいかない。俺のために。新八のために。身構えた。
その時、始末屋の携帯が鳴った。ごめんなさい、と言って始末屋は背を向ける。
「はい始末屋、…ええ、わかった」
携帯をしまって溜息を吐く。
「仕事が入ってしまったわ…でもいいの。障害が多いほど…、愛は燃えるの。
だから今日はガマンして。…またね銀さん!」
息を切らしたまま、始末屋は飛び立った。
「燃えるって…。ガマンも何もキミ…」
見上げた空に、始末屋の姿はない。危機は去った。
「あ〜、やな汗かいちまった…銀さん思わず貞操の心配しちまったじゃねーか」
汗を腕で拭った。
「大丈夫か〜? 玉子ちゃんたち」
袋を確認して、万事屋へ歩き出した。新八が待っている。俺の玉子焼きを待っている。
Copyright © 2002-2006 SHURI All Rights Reserved