Private Blue
T-5

「なんだ、サンジ、船買ったのか」
コックの一人が買い出しの船とは別の、見慣れない船にサンジの姿を 認めて言った。行きは隣りの買い出しの船に、仲間と一緒に乗っていたはずだ。
「おう、いいだろ」
サンジはタバコをくわえたまま、答える。
おーい、手の空いてる奴運べ! コックが中へ向かって叫ぶと 奥からみんなが出てきた。
「レディとのデートにはこのくらい親密でオシャレじゃないとな」
サンジは大事そうに舳先を撫でた。
下働きからはとうに足を洗い、今では料理も オーナーゼフを凌ぐ腕前になっている。 十七にして副料理長として、バラティエを支えていた。
タバコはある時期を境に吸い出した。スーツに身を包み、 一人前に女を口説く。サンジの中でそれは自然な成長であり、 変化のつもりだったが、ゼフは苦い顔をした。
ゼフ直伝の足技が功を奏して、二度と「女扱い」されるようなことは なかったが、サンジの中にシコリが残っていることは、 ゼフにはどうやら見抜かれているらしかった。
クソジジィには勝手に心配させとくさ…。どうせ何を言っても無駄だ。
ゼフが部屋から出てきたのを見て、サンジはタバコを指に挟み、 これ見よがしに手を振ってみせた。 鼻を鳴らして(そのように見えたのだ)、ゼフが引っ込むと、サンジは 満足そうににやりとした。
チビナスが、
忌々しく吐き捨てるゼフの呟きが聞こえてきそうだ。 そうやってゼフの神経を逆撫でするのが堪らなく楽しかった。


サンジが船を買ったのは、レディたちの為だけではない。 むしろそれは言い訳でしかなかった。
あの島へ行くための足が欲しかったのだ。
最初に行ったのは二年前だったが、その後三度しか行っていない。 足は買い出しの船しかなく、コックたちが皆行きたがるので 順番待ちが長かった。
その島とは、女を買える宿がある島だ。通称女達の島。 その昔、無人島だったのが、ある時、一軒の売春宿が建った。 この広い海で需要が高かったのか、 一軒また一軒といかがわしい店が増えていき、 あっという間に島は歓楽街で埋まってしまったという話だ。 歴史はそこそこ古く、女達の島はその手の遊びを楽しむには 有名な場所だった。
サンジがその島へ行きたい理由はレディたちに会うためだけではなかった。
あの男を探していたのだ。
自分を苦しめ続けている、あの男を。

サンジがゼフの部屋からソレを拝借したのはつい三週間前だった。
昼の賄いを持って上がると、ゼフはデスクにかけたままサンジに 気づかず、憎しみに満ちた目で一枚のハンカチを見つめていた。
「?」
サンジは記憶の奥にひっかかるソレをじっと見つめたまま ドア口に突っ立っていた。 ふと気づいたようにゼフを呼ぶ。
「オーナー、」
ゼフは急いでハンカチを引き出しにしまった。 サンジはその様子をじっと見ていた。
「何だ、ノックぐらいしろ」
よさ毛をいじりながらゼフは機嫌の悪そうな声で言った。
サンジは早々に退散した。

ハンカチの模様を思い出すまで半日かかった。
ゼフがいないのを見計らって部屋に忍び込み、ハンカチを盗んだ。
あの男が胸のポケットに入れていた柄と同じだった。いや、 そのハンカチなのだ。
左隅にイニシャルが刺繍されている。V.Iの文字。
「ぶちのめしてやる…」
サンジは呟いた。

気がついた時には目の前は真っ暗で、痛みだけがサンジの生きている証だった。 自由にならない手足がもどかしく、情けなく、狭く黴臭い匂いが、 さらにサンジを貶めた。
エプロンの端を口に押し込まれたらしく、声も上げられず、ただ 涙を流すしかなかった。思い切り泣くのに、涙はあの男の ハンカチに吸い取られ、サンジが救われるために残された手段は もうないように思えた。
「女達の島へ来ないか」
サンジを犯しながら男は言った。
「お前なら、こんなところで下働きするより、ずっと稼げるぞ」
男はサンジの肌を舐めた。気持ち悪くて声を上げるがくぐもって 誰にも届かない。
「なに、男でも構いやしねえ…俺のような人間が、 山ほど来る」

「…!」
悪夢から目覚めるのは何回目だろう。
サンジは昨日のことのように思い出し、クッションを蹴り上げた。
天井に張りつき、落ちてきた時には破れた布地から羽毛が吹き出していた。
ゼフに聞かれても言わなかった。言えば何が起こるか、 想像に難くなかった。
そんな事の為に、軌道に乗ったバラティエがどうにかなったら、困る。
第一ゼフはもうコックとして生きている。
だからあの晩、思い切り泣いて、何もかも忘れた振りをしてきた。
子供心に取った選択は正しかったと思う。
本当はずっと、女達の島であの男を探し出し、血祭りに上げることしか 考えていなかった。
もしかしたらゼフは全部わかっているのかもしれない。引き出しから ハンカチが失くなっていることにとっくに気がついているだろう。
サンジは暗闇を見つめ、それから目を閉じた。もう心は決まっていた。
休日の度に島へ行き、奴を探し出す。そして、…ぶちのめす。

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